2019年11月24日 相撲観戦三昧の日々
入院前から九州場所が始まっていた。
上京前、3か月ほど、母の勤務先のつてで、大相撲九州場所の先発部隊の手伝いという珍しいバイトをした。当時は若貴ブーム真っ只中で今でいう、なんちゃってスー女だった。隣の市の英雄である魁皇が勝つと、花火が上がる。隣の中学のたぶんガラス屋ヒロ君だ。その頃、高3の秋、母親が家出したり帰ったりで、余り学校には行ってない。だった。体育祭は物凄く盛り上がる。学年を4つのグループに分け、それぞれ自作パフォーマンスをする。私は大工の父に頼まれた器具だけ提供して、練習も出ずに、当日はずる休みした。近かったから、応援団や体育祭の練習の声が聞こえる。そんな時、何度の有無で一喜一憂していた。 |
当時部長だった大島親方(しこ名:旭國)にものすごかわいがられた。男の世界だから女子はよほど性格悪くなければ、好かれる。お前いつも左目赤いな、これで目薬買え、と、3000円もらった。母も勤務先のすし屋に行ったときは、後援会の会長だった大将に見えないように、一万円握らせてくれた。あの世界は金銭感覚がおかしい。
家には母の寝室&リビングにしかTVがないので、ホントは少なくとも十両から観戦したいが、遠慮して、幕内から見る。
ところが、今は、昼ごはんくらいから、観れるのだ! 午後は、入院したばかりだったから、検査とか、処置とか色々あってまともには見れなかったが。
それでも、千秋楽の頃には少しは元気になっていたので、素直に楽しめた。
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